死後事務委任とは

死後事務委任契約とはなに?

そもそも身内がいれば、原則として、
死後の事務のほとんどはその方(たち)に
任せておけるものです。

なので、このような
死後事務委任契約などはしなくても、
まあなんとかなります
ご安心ください
(いろいろとご本人の希望に沿わないことがあるとしても)

しかしながら、
相続人も親戚もいないときは、
又は、絶対に何もしてくれなそうなときは
本人亡きあと、何をするにも
代わりに手を下す人がいないので
周囲の迷惑・困惑は甚だしいことになるわけです

 

もしも、身内が誰もおらず、誰とも
死後事務委任契約を交わしておらず

成年後見人も選任されていない状況だと

亡くなった瞬間からは次のような困りごとのオンパレードです

 

ちょっと思いつくだけでもこのようなものがあります

 

  1. 臨終の際、誰に連絡?
  2. 死後、遺体の引取は誰
  3. 死亡届出どうする
  4. 施設費入院費等の精算、誰がする
  5. 葬儀どうする お寺は 宗教は
  6. アパート等の明け渡し作業
  7. 公共料金等債務の支払い
  8. 納骨・永代供養
  9. 相続手続き

 

入院等をしたまま亡くなった場合は
おそらく入院時に、
身元引受人・身元保証人を求められるので
上記の1、2、3、4くらいまでは心配しなくても大丈夫かと思います

 

だとしても

これらを引き受け、遂行してくれる人を
予め決めておけたらどんなに気が楽になることでしょうか

 

死後事務委任契約

 

それが死後事務委任契約です

しかしながらこれだけだと
委任契約として弱いので、通常は
任意後見契約と併せてします。

死後事務委任は
公正証書にすることは必須ではありませんが

任意後見契約は公正証書でされることが
必須条件なので、併せて作成するときは
死後事務委任契約も同じく、
公正証書でされることになります。

もしも、
死後事務委任契約のみを締結するばあいも
真正担保のために、公正証書で作成することをお勧めします

契約なので、
当事者間で作成したものも、もちろん
有効ではあるのですが。。。
それが現実社会で有効なものとして扱われるかと言うと
非常に疑問です

おそらくそれだけでは、
有効性を認めてもらえない可能性が
大きすぎます。

また、仮に
公正証書を作成したところで、
書いてあることのすべてについて代理権が
認められるかと言うと
必ずしもそういうわけではないことは
ご承知おきください

 

さらに、忘れてはいけないのが
これを実行する際には
本人(委任した人)がもうこの世に
いないので

委任契約を実行する際に困らないように
具体的な内容・条項を作成しておくことです

だからと言って、
すべてを細かく決めておくのは現実的では
ないし
受任者の負担も尋常ではないでしょう。

なので、

これだけは絶対にこうしてほしい、
そこだけ決めて
たとえば、お寺とか。お墓とか。
どうしても譲れないほど大事なこと
あとは受任者の良識と常識にお任せ、
というのが現実に即した決め方だと思います

委任者に全く身内がいないという状況であるならば
任意後見契約と死後事務委任契約を
締結しておけば何とかなるものです。

 

相続人・身内とのトラブル

 

しかし、個人的には
本人の死後に問題になるのではないかと思うのが、

第三者と既に死後事務委任契約を
交わしているのに、実は、
相続人または親戚がいる場合では
ないでしょうか

 

特に
葬儀(宗教)や墓について、
本人とその他のお身内との間で打ち合わせ等がなされていないときなどは、
もしかしたらトラブルになることが
予想されます

 

元気なうちに話し合っておけばよいことですが
これも実際、生前にそうしたことを
相談するのは、
ハードルが高いかもしれないです。

とかく、お墓、とか遺産とかの生々しい話題は避けられがちだからです。

 

「お葬式のことだけど」などと口にしただけで、身内や親戚の人から、
縁起でもないことを言うのはやめて。」
と言われてしまい相談ができなかったり
します。

 

 

相談ができないので、
本人の希望だけにそって死後事務の受任者との間でもろもろ(葬儀社とかどの宗教でするかとか、お墓についてなど)を決めておくと

さあ、大変、
本人亡きあと、

そういう人たちに限って、あれこれと
口を出してきたりする、という話はよく聞きます。

 

委任者(本人)がかなりの高齢であるか
余命いくばくもない、ということが
知れ渡っている状況であれば、
そのような話もしやすいですが、

仮に、
身体頑健な60代であったり、または逆に
今日にも死にそうなぐらいに衰弱してしまっている状況にあるとき、
本人は平気であっても周囲の人が妙に気を
使ってしまって話ができなかったりします

 

死後委任を考えるときの心理

 

実は、
このような契約をしようと決めた時点で

委任者は、自分の死や死後ということについて
かなりドライな、ある種、即物的な
実際的な考えをしていると思われます。

それどころか、
妙な同情とか、見当違いの思いやりなどは
むしろ邪魔だという認識でいるかもしれません

現在、生を謳歌していることの果てに
100パーセント死がやってくるのは
当然の話であって、
そこに過剰にセンチメンタルになることは
意味のないことでしょう。

これは、
土曜日の次に日曜日が来るようなものです。

秋の次に冬が来るようなものです。

それに備えて
きわめて事務的に、ことを運ぼうとしている
だけなのに

「まだまだ大丈夫よ、もっと
元気を出して長生きして」
とか、
それはそれで、貴重な意見なのかもですが
委任者本人が望んでいるのは、そういう同情ではなく、準備を怠りなくしておきたい、ということでしかないわけです。

 

身内であるがゆえの真心から出た言葉であるとしても、現実の問題解決のために役に立たないような声掛けは、とりあえずやめてもらいたいのです。

まずは、
喫緊の課題である、
葬儀や納骨をどうするかなどという
極めて現実的な話
をしたいだけなのです。

土曜日の次には、
必ず日曜日が来るのですから。

 

委任者にとっては、自分の死後に
実際にどのようなことで周囲が困るのか
何を準備しておけばその困惑迷惑を最小限にできるのか、
だいたいそのあたりが興味の中心です。

 

では、どうする

 

身内などが、葬儀などについて、
ご本人の生前に話をしたくないのは
人情として、わからないではありません

それはそれで、しかたがないことだし、
その人たちが
委任者本人が生前になした決定を
尊重してくれるのであれば、

全く問題はないわけです。

ところが、そこがそうもいかないのが、
浮き世の習いというか、残念というか
仕方がないところなのですが。

 

まさに、
そのような事態を避けたいがために
事前に
死後事務委任契約等をしている
わけなので
多少の軋轢があったとしても、
できる限り事前に、そういう人たちの意見を調整しておけるといいとは思います。

そうしたとき、つまり、本人の死後に
本人の意思ではない葬儀等の処理方法を
身内から主張されたときに

「本人の希望のままやってしまえばよいのでは?だってそのための契約でしょう?」
というのが正論でしょうか
実は私はそのように思っていますが、
代理人の立場はやはり弱いところがあります

仮に登記のされた任意後見人または
成年後見人であるとしても、
主張の激しい身内が1人でもいたら
委任者の希望がそのまま問題なくとおるかどうかは、何ともいえないです。

 

具体的には、もめそうな事項としては

 

・葬儀の手配(宗教)

委任者本人だけが、身内と異なる宗教に帰依していたときは問題となりがちです
さらに、葬儀会社と葬儀のグレード・予算の多寡についても

・納骨(遺骨の扱い)

・お墓

お墓に埋葬されたいときは、
お墓を決めておく
樹木葬や散骨が希望ならば生前にはっきりさせておくべきです

ただ、通常の火葬、墓所への納骨という最期を望まない場合は
内容によっては、受任者にかなりの負担を強いることになります

代理人はともかくとして
単なる相続人にそれを求めるのであれば、
本来そこまでの義務のない人に、ある意味
無理難題を求めているのだという意識は必要です(ボランティアですから)

・身の回りの品の処分

遺言書にはわざわざ書かないような手回り品について、
処分は受任者にお任せというときは、そのように書いておくべきです。

それほど細かく書かなくても、
ざっくり「遺品の整理を全部任せる」と書いておけば充分です
また遺言書の内容と齟齬がないようにしておくことも大事です

法的には、最新の遺言書が優先されますが、
この死後事務委任契約でそれと異なることが書かれていると
無用の争いを生む恐れがあるためです。

 

なお、死亡届をする際は
死後事務委任契約だけしてあっても、
その受任者からの届出はできません。
(親族であれば可)

一方、
任意後見人からの届け出は可能です
少し前まで任意後見受任者からの届はできませんでしたが
戸籍法の改正によって可能となりました
(戸籍法第87条届出義務者)

 

 

本人の希望と、身内の希望が
あまりにも異なる場合に、

委任をうけた側としてはかなりの葛藤を
せざるを得ないことになります

どんなにドライな受任者であっても、
おそらくは本人の意向を反映させてあげたい
と思うものだと思います。
その任務のために報酬を頂戴しているのですし

 

かと言って、

このあとの長い時間を生きていく身内の方の希望を無下にするのも、
心が痛むものです

お葬式もお墓もつまりは本人のものではなく
残された人のためのものであるという考え方に立てば、
その妥協点が探せるような気もしますが。

 

ただ、

妥協するのが正義なのかという話は
ここではおいておきます

 

なお、当方では、あいにくですが
任意後見人等の業務は一切しておりません

ご了承ください