任意後見人とは?

任意後見人って?

 

年年歳歳、年を重ねていくと、若いときには考えなかったことを考えるようになるものです。

 

運と勢いだけで生きてきた私ですが、いざ、というときに備えて何か手を売っておくべきではないだろうか、と思うことがあります。

 

いざ、という時。脚などを骨折して身動きが取れなくなるとか、ボケてしまっていろいろと朦朧としてくるとか。

頭さえしっかりしていれば何か方策はとれるかもしれませんが、ボケてしまって周囲に迷惑をかけ放題、というのは、想像するだに恐ろしい気がします。

 

万事そうですが、できる時に準備をしておかないと、いざ、となったときは既に遅いのです。

 

任意後見制度とは?

 

ひとり暮らし、または、信頼できる家族がいない場合。

将来、認知症等になって判断能力が低下したときなどに備えて、任意後見制度という方法があります。

 

まず、任意後見人を選びます

 

信頼できる成人であればどなたでも。(破産者は不可)

ただし、法律的なことでいろいろやる必要がありそうだったら、弁護士か司法書士を選んでおきましょう。あとが楽です。

 

個人ではなくて、法人組織の方が将来的に安心かもしれません。

 

また、お気に入りの親戚の若い衆でもいいですが、実際に法律行為などを行うにあたって、事務管理能力が要求されるので、そのあたりを考慮して選びましょう

 

 

公証役場で契約する

 

公証役場で、任意後見契約という契約を締結し、公正証書を作ってもらわないとこの契約はできません。

(他の一般的な契約が様式自由であることに比べると、非常に要件が厳格です。)

 

契約はすぐには有効にはならない

 

さらにその上、この契約は、将来、本人の事理弁識能力が衰えてきたときに、家庭裁判所が任意後見監督人を選任して初めて生きてくる契約なのです。

 

つまり、ここが間違えやすいところなのですが、任意後見契約を締結しただけでは本人の生活は何も変わりません。

 

 


東京法務局に任意後見契約の登記はされますが、それだけです。(登記は公証役場からの嘱託でされます。ちなみに、この登記の扱いは、全国で東京法務局のみです。)


 

ですから、年をとって何かと面倒になってきて、家賃の支払いとか、あれとかこれとか、もろもろを誰かにやってもらいたい、と思ったとき。そのために任意後見契約をしたとしても、それだけではどうにもならないということをお忘れなく。

 

ただ、公証役場では、お客様のニーズがそのあたりにあることをわかってくれています。

なのでこれだけだと片手落ちなので、同時に任意代理契約(事務委任契約・見守り契約・財産管理契約)というものを締結するようにアドバイスしてくれているようです。

 

 実際の流れは?

 

具体的にいえば、こんな感じです。

 

  • 将来に備えてコータロウ氏に任意後見人になってもらうことを決心しました。
  • 公証役場の予約をとり、必要書類をそろえて、二人で出向きます。
  • 任意後見契約書を公正証書で作成してもらいます。(契約内容は自由に決められます)
  • その旨の登記がされます(公証人による嘱託登記なので、当事者は何もする必要がありません。)
  • ですが、これだけだと、コータロウ氏に何もしてもらうことはできません。
  • そこで、任意代理契約(事務委任契約)を交わしておきます。
    (預貯金の出し入れ・家賃の支払い・公租公課の納付・お猫さんの世話とかその他面倒なことの全部)
  • そしてそれも公正証書にしてもらいます
  • 以後、その事務委任契約等によって、日常の面倒なことを全てコータロウ氏にやってもらえるようになります。

    ご注意 金融機関によっては、この代理契約によっては、預金の引き出し解約等ができないことがあるようです。事前にご確認を。
    また、現在の扱いがどうであったとしても、実際にその行為をする必要が生じた時に(例えば半年先とか10年先とか)そのあたりが変更されている可能性が大です。
    作成時点では適法であっても、行為時にはそれが否定されてしまうことがままあります。


 

  • そのうちに、判断能力が著しく低下し、今日のことも明日のことも朧(おぼろ)となってきました。
  • コータロウ氏は、それを見て、家庭裁判所に任意後見監督人選任の申し立てをします。
  • 家裁で任意後見監督人選任審判がおりると同時に、コータロウ氏は、任意後見人となります。公正証書で結んであった任意後見契約に基づいて本人の代わりに法律行為のほとんどを代理出来るようになります。

あとは、遺言書を作成しておくことも忘れずに。公証役場でいろいろやり取りがあるので、その際についでに済ませてしまえばいいと思います。

 

最期のときまで

 

未だ老年期というものをよく理解できてないので(若いつもり)いまいち、想像が及ばないところがあります。

 

周囲の年寄り(両親、おじおば達、などなど)の言動から察するだけですが。

 

身近に頼れる家族や心配してくれる友人たち。そのような存在がたとえないとしても、わりと元気に生きられるものではないかな、と思っています。

 

孤独は最良の友人である。と言ったのは誰だったでしょうか。

孤独は最高の贅沢、というのもあります。

孤独なオオカミでありたい。